旧線路通りの謎その2

59-8-1-2.jpg国土地理院 大正元年測図・大正4年6月30日発行 1/25000より抜粋


59-8-1-3.jpg国土地理院 昭和14年測図・昭和22年11月30日発行 1/25000より抜粋



大正4年6月30日発行の地図と、昭和22年11月30日の青森付近の地図です。これを見るとわかるとおり少なくとも大正4年では旧線路通りを東北本線が通っていたことになります。また現在は古川の跨線橋あたりから東北本線と奥羽本線が分岐するのですが、昔はもっと手前から分岐をしていたことがわかります。私もこの地図をみて気がついたのですが、この奥羽本線の線区の変更により、奥羽本線側にも旧線路通りが存在するようです。

昭和22年には操車場が完成しており、東北本線から奥羽本線への渡り線も完成しています。
現在中央大橋のある通りは以前は荒川方面に向かうメインストリートだったようですが、操作場が出来たとたんに分断されたこともわかります。ちなみに、昭和22年の段階でまだ観光通はありません。住んでいた人はさぞかし不便だったでしょうね。

町名も現在は使われていない、寺町、米町、大町、浜町という旧地名になっています。

市役所も県庁のうら側にあります。また現在の郷土館の位置に銀行があるのもカクニンできます。(タブン青森銀行本店)

なお現在の地図はこちらより見ることが出来ます。

Posted by issei

カテゴリ: 青森