雪中行軍

<真うかつエピソード2917>
 GW真っ只中にして好天に恵まれた昨日、足を伸ばして八甲田山麓にある銅像茶屋に行って来ましたよ。この銅像茶屋は文字通り高台に建つ雪中行軍ゆかりの人物、後藤伍長の銅像の麓にある一件茶屋で、青森の観光名所の一つでもあります。折角なので、オイラぐらいの年齢の青森市民なら子供の頃から口すっぱく聞かされている雪中行軍について軽く講釈。

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<雪中行軍(八甲田雪中行軍遭難事件)>
 明治25年に起こった日本最大の集団山岳遭難事故。
 近いうちに起こるであろう日露戦争に備えて、八甲田山録での厳寒地訓練として計画された。青森→八戸を目指す大部隊のルートと弘前→青森を目指す小規模精鋭部隊のルートが計画され、このうち弘前ルートは無事に訓練を終え任務を遂行したが、八戸ルート側は折からの悪天候、準備不足、指揮系統の乱れなど様々な悪条件が重なり、全210名中199名が死亡という未曾有の大惨事へと発展した。
 この事故の顛末は後に新田次郎により小説化され、1977年にはこの小説を元にした映画「八甲田山」が公開。当時の興行収入第一位を記録し、劇中の北大路欣也演ずる中隊長のセリフ、「天は我々を見放した」が流行語になった。

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 さて、この銅像となった人物、後藤伍長は遭難した八戸ルートの生存者のうち、一番最初に発見された人です。立ったまま雪の中で直立不動の仮死状態でした。何とか蘇生させ、詳しい話を聞くことが出来たので、生き残りの兵隊さんが助かったのも大筋でこの人のおかげというわけです。そんなわけで、遭難当時から現在にいたるまで後藤伍長といえば青森市民なら誰しもが知るヒーローなのですよ。

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GWの銅像茶屋。さすがにまだ雪が深いですね


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後藤伍長像バックスタイル。
 後藤さん本人はそれほど長生きできませんでしたが、銅像が出来た時にはまだご存命で、除幕式に立ち会ったそうです


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眼下に見下ろす光景


 ところで個人的に前々から疑問に思っていたことがありました。この後藤伍長像は大変眺めの良い所に建っていますが、この場所は実際の遭難地や最初に後藤伍長が発見された場所からは結構離れています。何故だろう?ってな疑問を銅像茶屋の人に伺ったところ、なんとまぁあれだけの大惨事を出した事故が起きたにもかかわらず、当時この訓練は大成功だったと喧伝され、同じ場所でまた雪中行軍を執り行う予定があったために、目印となるポイントを見晴らしの良いこの場所に作りたかったから、だそう。ホントだとしたらなかなか狂気じみた話です。

↓↓↓以下映画「八甲田山」の結末に関する重大なネタバレあり。未見の方は注意。

 ところで、映画「八甲田山」はラストシーンで無事訓練を終えた弘前連隊の兵隊さんは日露戦争の激戦区で全滅、結局緒形拳演ずるところの、狂気の集団に早めに見切りをつけて、何とか自分だけでも助かろうと必死で当初の目的地田代を目指し、実際に一人だけ行き着いた村山伍長が一番長生きしたことになっていますが、この2つの重大なキーポイントは事実と異なります。弘前連隊の中には日露戦争で生き残った人もいるし、雪中行軍の青森隊生き残りメンバーの中には90歳まで生きた人もいますが、それは緒形拳の演じた人ではありません。事実を曲げてまでこの映画の製作者が訴えたかった事は何なのか。何はともあれ、一度はじっくり見てもらいたい映画です。

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<本日のアウトドアJIS コード:97fc 「聯」>
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撮影地:青森市・横内
備考:色々と珍しい字を撮ってきましたよ。

銅像茶屋