日本橋の上と下

先日のブラタモリは日本橋でしたねぇ。

言わずと知れた日本の道路の起点。 かつては水路と道路が交差するところとして栄えたところでもあります。

魚河岸は震災で築地に移転してしましましたが、三越や証券取引所が かつての繁栄の面影となってますね。

以前は日本橋箱崎町に住んでたので、よくこのあたりまで散歩に出かけましたわ〜。 橋そのものも実に歴史や趣があってよい。

今の橋は明治時代の末期に建てられたもので、震災と戦災をかいくぐった 歴史的建造物。橋の銘版はラストショーグンである徳川慶喜によるもので、 欄干に建っている彫刻もすばらしい。

中央区は橋だらけなのです。橋の町といってもいい。 そんなわで興味をもったオイラは図書館などで調べてみたりしてた わけで(もっとも廃橋、廃河川のほうが専門?) ブラタモリは実に楽しく見ることが出来ました。

さて、橋と言えば隅田川にも沢山の有名な橋が架けられています。 以前の家は隅田川のたもとだったわけで、こちらのほうもずいぶんと 見に言っては写真を取ったり調べたりしました。

現存する隅田川の橋の歴史は関東大震災まで概ねさかのぼります。

当時はまだ木造の橋が多く、そのほとんどが大震災で焼け落ちてしまったのです。 今の橋はそのあとに建てられたものが殆どです。

隅田川には一つとして(首都高の橋はアレですけど)同じデザインの橋がありません。 これはすごいことで、江戸っ子の自慢話の1つでもあります。

大震災の後は一刻も早い首都機能の復旧が望まれていました。 橋が無いというのは不便極まりありません。

したがって、デザインよりも機能、一刻も早い復旧を!という声も多かったらしいのですが、 当時の東京市民はその案には乗りませんでした。

その結果、隅田川には様々な建築美に優れた橋が架けられることになったわけです。 あのとき、無味乾燥な橋を架けていたら、現在の隅田川の景観は 随分と違ったものになっていたでしょう。当然舟下りとかも無かったかもしれません。

江戸っ子は100年前に正しい選択をし、景観や観光資源という資産を未来に残した。

オイラはそう解釈しています。

ちなみに、隅田川には首都高の橋が2本ありますが(浅草より上流も考慮すれば3本?)、これは橋としてカウントされて ないこともあるようで。何しろオリンピックやら高度成長時代に効率優先で作られた 突貫工事の橋。機能性は十分だけど、たしかにあれは景観を乱していますね。

今ならどちらが評価されるかなぁ? 事業仕分けとで仕分けられて効率優先のほう?

ちなみに、ブラタモリによると 日本橋の欄干の彫刻には総工費の10%もの予算が使われたそうです。 国家の威信をかけて作ったんでしょうけど、これって無駄ですかね???

その日本橋の上を覆うように取っている首都高速は、 移転しようという話があるくらい、不評なようです。

川の上を通すことで用地買収の費用を極限まで下げ、工費を安く押さえることが出来たという すばらしいもののはずなんですが、今では殆ど評価されていません。

むしろその下を通る河川や歴史建造物である日本橋の景観を乱していると 手厳しい評価が多いくらい。

なんでも効率優先の世の中ですが、 効率は10年先、20年先まで評価されないし、機能として不要なことが 評価されることもあるのです。

あの武道館ですら最初は不評だったとか。

建築物というのは、一度作ったら何十年もそこにあるのです。 そのときそのときの世情だけでなく、 何十年も先まで見越して作らないとダメなんですが、 これが難しいんだなぁ。
Posted by issei

カテゴリ: 雑記

コメント一覧

 わたしは隅田川の橋ではないですが、日本橋川にかかる豊海橋が好きです。
だんな

日本橋の首都高ね・・・まぁ、うつくしいとはいいづらいですね。 首都高だと三宅坂ICの景観は個人的には美しいと思いますが、いい観察ポイントがありません。 今日も通ってきましたが、清水坂は黄葉が綺麗で、それを左に見てすーっとトンネルにはいっていく4号線はなかなかの機能美に見えます。 運転してると、こんなひでぇ構造あるかよ、と思わなくもないですが(笑)
jack

自分は荒川が好きかなぁ(近いから
星使