dmaの認証ではまったはなし

FreeBSDのMTAであるdma(DragonFly Mail Agen)についてハマった話。需要があるのかどうかはわからないけれど同じような症状で悩んでいる人がいればぜひ

FreeBSDは歴史的にsendmailというのが主体となっていてインターネットがSPAMで溢れかえっていなかった時代においてはそれでよかったのですが昨今の現状は25番ポートは受信のみって感じにして送信は587からsubmissionで送るってのが定番です。プロバイダも25番をほとんど塞いでおりそのあたりのPCから直接MXとお話しができなくなっているのが普通かと思います。なので環境によってはメールを送るにはsubmission一択です。

それを実装してくれるのがdma。メールサーバを指定してID/PASSで認証してから送ってくれるんでgmailなども使えるらしいです。(使ったことがない)

submissionを使ったメールの送信はEHLOなどでネゴってからSTARTTLSに落とし、そのあとID/PASSを入れるというパターンが多いかと思います。弊postfixのサーバもそういう実装。

ところが二つあるサーバのうち1つはdmaでうまく送れるのですがもう一つが送れません。STARTTLSのあとに認証に落ちない。その差がどこにあるのか?というのをおっかけてハマってました。結論から言うとdmaは AUTH LOGINにしか対応していない(AUTH PLAIN非対応)ということのようです。dmaのソースをみたらわかりました。

AUTH PLAINもAUTH LOGINも認証方式やセキュリティレベルに大きな差はなく両方対応しているサーバがほとんどだと思うのですが弊サーバでは片側だけ外していたのでした。多分なんかの実験で使ったのだと思う。
EHLOでAUTH LOGIN出すようjにしたらしっかり動きました。

他にもクセがあり cram-md5をEHLOで広告してしまうと必ずcram-md5で認証しようとします。これはMTAの仕様的には広告されt方式での認証なのでdma側の問題ではないのですが、弊サーバの事情(歴史的事情で)CRAM-MD5可能なユーザとそうでないユーザが混在しててハマってしまいました。多くのMUAでは cram-md5よりplain textによる認証を好むのでしょう。CRAM-MD5は「十分に信頼できない(安全ではない)」とされており結局平文認証のほうが強度が高いと推理するのかなと。

 

 

 

Posted by issei

Category : BSD

MacOSをTahoeにしたらTime Machineでバックアップされなくなった件

9月までは毎日バックアップされてたのに10月分が一切ないことにきがつきました。TIme Machineの画面には「!」マーク。それをクリックすると

バックアップ中に、バックアップデェスクが取り出されたか、またはMacから取り外されました。

バックアップディスクが接続され、オンになっていることを確認してください。

問題が解決しない場合は、別のケーブルを使用してディスクを接続してみてください。

などというメッセージ。いやボリュームマウントできてるし、なんならFinderで中見れるじゃん・・つっこみどころ多数なのですが・・・

ChatGPTとご相談してるとNFC/NFD問題ではないか?というサジェスチョンをいただきました。いやこれSequoiaではちゃんと動いてました。いまさらそんな問題起きますか?

とも思いましたが、そもそもdateコマンドで

#午前

とかわけわからない時刻を出すようになったAppleのことですから疑ってかかるべきかなぁと。

そこでアホらしいとおもいつつ名前を「floraのバックアップ」から「floraTM」に修正しました。そしたらヌルヌル始まるTime Machineバックアップ。驚きです。

バックアップが終了後また「floraのバックアップ」に戻してバックアップしようとしたらまたこのエラー。

次に「floraのックアッ」と濁点半濁点のある文字列を全てボリューム名から削除してみたところバックアップは成功。

「バ」や「パ」がないとうまくいくということはNFC/NFD問題で確定のようです。

NFC/NFD問題というのは文字の符号化の問題で例えば「バ」という文字を「バ」一文字とするか(NFC)、「ハ」と「゛」の二文字の組み合わせ文字(NFD)にするかという問題です。見た目はほとんど同じなのに符号化が違う(つまり同じ文字列とは判断されない)という困りものです。一般的にはNFCが主流かと思います。WindowsもLinuxもそうです。ただMacだけは何故かNFDでした。MacOSとWindowsでファイルやりとりするときの問題になりNFDのファイル名であってもブラウザでアップロードするとNFCになるなど、対応が入り最近ではほとんどこの問題はみない・・のですがTahoeで問題復活ですか。ちゃんとテストしてるんだろうか・・

とりあえず「Time Machineボリューム名には日本語は使うな」これで解決かと思います。お試しあれ。


macOS Tahoe 26.0.1

札幌市交通局の環状線部分を乗ってきました

札幌市交通局の環状線部分(西4丁目〜すすきの)をようやく乗ってきました。

ここは北海道で唯一の未乗区間だったのですが、この区間が完成したのは2015年ということで、実に10年越しの乗り潰しとなりました。逆に言えば、それだけ長い間札幌周辺には足を運んでいなかったということでもありますね。

北海道までは航空機利用です。千歳でもよかったんですが、なんとなく利用したことがない旭川空港に行きたいなというだけの理由で旭川を起点にしました。これなら函館本線を1日で縦走もできる。なんてこともあり、旭川から山線経由で行こうかとも思ったんですが、ちょうど上の子が文化祭の代休ということで、2人旅になることになり、山線まわりだと札幌到着が深夜0時直前になってしまうので、翌日の学校のことも考えて断念。苫小牧経由のルートに切り替えました。とはいえ、それでもなかなかの強行軍であることに変わりはありません。

ちなみにオイラはJALをこよなく利用しているのですが朝イチの始発のJALはANAより出発時間が遅く、ANAを選択することにしました。漂うアウェイ感。初めての第二ターミナル。旭川到着後バスで駅まで移動し、そこから特急で札幌入りして市電に乗車。その後は新函館北斗から新幹線で東京へと戻るという、まさに日帰り弾丸ツアーでした。

札幌での滞在時間は、わずか2時間。その中で今回のメインイベントである市電の環状線区間への乗車を組み込みました。短時間ながらも、大通り公園や札幌時計台も見て回ることができ、思ったよりも充実した内容に。ちょうど大通り公園ではイベントが開催されていて、地元ならではの北海道グルメを味わうこともできました。フライドポテトや焼きそばなど。ほんの短い時間でも“北海道らしさ”をギュッと体験できたのは嬉しい誤算でした。

その後、昼間の特急列車で函館へと向かいました。実は、札幌〜函館間を日中に移動するのは今回が初めて。これまでは夜行の急行「はまなす」しか乗ったことがなかったので、海沿いを走る車窓の風景はとても新鮮で、思わず見入ってしまいました。北海道の大地と海の景色が広がる中を走る列車旅というのは、やはり特別ですね。

そして今回、改めて札幌と函館の距離の遠さを実感しました。移動時間にしておよそ4時間強。こうして大人になって旅程を組んでみると、なかなかの距離感です。ふと思い出したのが、自分の中学の修学旅行。行き先は札幌だったのですが、当時はまだ連絡船の時代で、高速道路も整備されていなかったはず。それでも函館から札幌まで、大型バスで移動していたわけで、「よくあの時代にこの距離を移動してたなあ」と、今さらながら感心してしまいました。バスの中で何やってたんでしょうね?まったく覚えてませんわ。

そんなこんなで、今回は市電の環状線完乗をきっかけに、思わぬ旅の記憶や北海道の広さを再確認する一日となりました。
これで残りは沖縄のゆいレールの延伸部分だけということになります。早めに処理をしたいなぁ・・(日帰りかな・・)

 

Posted by issei

Category : 旅行記

青い森鉄道(東北本線)はどうして青森駅直前で単線になるのか?

東北本線(今は盛岡から先は三セクになってしまいましたが)は全線複線です。日本の経済の大動脈を支えただけのことはあり・・と思っている人いませんか?実は青森駅の数km手前から単線になります。こちらの動画の1:30:56あたりを見ればわかるかと思います。青森信号所のあたりから確かに単線になっています。

https://www.youtube.com/watch?v=KuzrCG57VEk

ここで面白いのは単線になった直後から上り勾配になって高架になっていることです。高架ではありますが、一本も線路を超えません。そして右側に急カーブを切り、また降りると踏切(通称浪館通りの踏切・古川踏切)があります。この踏切は明らかに複線ですよね。ここには線路を二本引く十分なスペースがあるどころか線路が実際にあるわけです。しかももう一本の線は高架になっていない。よってこの高架で越える道路も一本もないことになります。

なんでこんな不思議なことになってるんでしょうか?こちらの動画にヒントがありました

https://youtu.be/KOnssSa4l0k?si=QlzpjJsBBOOnmILT

この高架の真下には昔旭町の踏切がありました。ここは青森駅を通らず奥羽本線への短絡する貨物線との分岐と操車場のちょうど中間になり、さらに当時は青函連絡船への貨物線もありました。google mapをみるとわかりますが青函連絡船への連絡船と青森駅構内、奥羽線の間に旅客列車を通さなければなりません。そこで旭町の踏切の上空に旅客線を高架にして平面交差を避ける構造にしました。しかしその後地下道が開通して踏切がなくなり、連絡船もなくなり貨物線も無くなりました。結果ここで旅客線が越える線路も無くなり、高架にする必要もなくなったのですが、高架だけは残っているというという状況になった。このあたりもっと正確な裏付けをと調査したのですがこれ以上のものはネットだけでは見つかりませんでしたが、おそらくそういうことだと思います。間違いなどありましたらコメントよろしくお願いします。

国土地理院の古い航空写真でも分かるかと思います。

私の記憶も曖昧ですが浪館通りの踏切(古川踏切)のほうも今は線路が2本しかありませんが、昔は4本くらいあったような気がします。海よりの線が青函連絡船への線です。踏切警手がいて人力で昇降する踏切だったような記憶があります。

Posted by issei

Category : 青森

固定資産税

毎年じわじわと増えてます。建物は一歳歳をとってるのに不思議

 

Posted by issei

Category : 雑記