ヘンペルのカラス

面白いたとえ話を作る人がいるものだなぁと関心することがありますが、これもその一つ。

数学でよく使われる論理に対偶ってのがあります。

「AならばB」←→「BでなければAでない」

例をあげると、

ギャンブルに必勝法はない ←→ 必勝法があればギャンブルでない。

この命題は同値です。左が真ならば右も真だし、左が偽ならば右も偽なのです。

そこで、次のことを考えます。

「カラスが黒い」ことを証明したい。その為にその対偶「黒くなければカラスではない」を証明する。

そこで、世界中のありとあらゆる黒くないものを調べる。全宇宙のありとあらゆるものを調べる。その中にカラスがいなければ命題は真である。よってその対偶である「カラスは黒い」も真である。

こんな感じに一匹もカラスを調べずにカラスが黒いことを証明できるという説話。
この論理はどこがおかしいんでしょう?

結論だけから言えば 黒くないものを調査するというのが現実離れしているだけで、どこも論理的におかしくない。 ということです。 いろいろな屁理屈をこねることは出来ると思うけど、この話はそういうことが主題ではないので、おいときます。直感的な感覚に頼りすぎると危ういということをヘンペルという人は言いたかったらしい。面白いことを考える人がいるもんだね。

Posted by issei

カテゴリ: 雑記

コメント一覧

あっ!ヘンペル。 ドイツ人の哲学者? ところで、この日記をよんで、空想科学を思い出しました。 その本、かなり笑ったなぁ・・・・。 ( ´^,_」^)ぷ♪                               
PICKY

論理的には間違いがないのですけどね・・・ 私は道交法を思い出してしまいました。 机上と実践の違いは永遠のパラドックス(´д`;)
ゴンゾー

「世界中のありとあらゆる黒くないものを調べる」ためには、カラスについても「黒いか黒くないか」は調べる必要があるはずなので、 「一匹もカラスを調べずにカラスが黒いことを証明できる」わけではない、というところでしょうか。
Argrath

「カラス」「黒い」という現実の概念を定義することなしに 論理の世界にもってきて、その上で「証明する」ってのが 何を意味するのか日常生活でいう「証明」なのか 論理の世界で言う「証明」なのかあいまいなままに 話を進めてるってことでしょう。 現実世界のモノを論理の世界にもっていくためには なんらかの抽象化が必要で、どのように現実世界の モノと論理の上での概念を対応させるか、というのが はっきりしてないと話が噛みあわないよ、ってこと。
ふたつき