青森

我が家の便所の三冠王

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何年も前からこの3冊が置いてあります。

しましま曜日1巻、ルプさらだ、スカタンパラダイス3巻。我が家の便所の三冠王ですね。

当然個室で哲学的思想にふける場合はついついこの本を読んでしまうわけですが、本がそもそも入れ替わらないので、もはや読むところがないくらい読んでいます。

まぁ多分ワタシが置いたんでしょうが・・・誰も文句を言わないし、誰も入れ替えません。ワタシも青森には月一回くらいしか帰ってこないので、多分あと10年は置いてあるんじゃないかと思います。
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秀寿司に食べに行ってみた

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昨日の話ですが、実家の両親が一度食べにいって、かなり気に入ったすし屋らしいので、せっかくだからというこで家族で食べにいきました。お座敷で特上一人前2600円程度です。

東京の感覚からすると安い。(まぁ回るすし屋にはかないませんが)

この上に「おまかせ特上」ってのがあるらしいですが「前食べたそっちのほうがいいね~」と家族が申しておりました。ワシもそっちを食べたかった・・・しょぼーん。

ちなみに店の場所は文化会館の裏です。
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実家の近所のタコヤキ屋KEN

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青森の栄町一丁目交差点付近にある小屋みたいな(いや小屋ですね)、タイヤキ&タコヤキ屋です。けっして商店街にあるわけでもなく、ぽつんと1つだけあるお店。目の前は片側3車線の国道4号線。客が着そうなポイントをしいて言うならバス停の近くにあるということだけですが、車社会の昨今バスの利用者もそうそういるわけでもありません。

なんで、こんなところに店を出したのかきわめて謎ですが、このお店はおそらく20年近く、この場所で営業しています。この小屋でもかなりよくなったほうで、最初はもっとボロ屋でした。が、継続は力なりといった感じで、ここ数年は週末にはクルマなどが結構とまっており、列も出来ていたりします。なかなか繁盛しているようです。

私は開店当時からこの店のファンです。実は、このお店。私が知る限り(といっても子供の世界だから狭いですが)青森で初めて本物のタコ入りのタコヤキをちゃんと売った店です。

当時は、タコが入っていないタコヤキ(入っていても、なけなし程度)がほとんどで、私には衝撃的でした。今じゃ考えられませんね。タコ無しのタコヤキ(笑)

ちなみにタイヤキもなかなか好評なようで、尻尾の中までアンがちゃんと詰まっています。こちらも当時としては斬新でした。

まぁ、このあたり、きっちりと手を抜かないで仕事をするというのが長く続く所以なんでしょうね。見習いたいものです。
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ちなみに、ここのタコヤキはちょっと変わってて、ソースがタコヤキにはけで塗りつけられております。またカツオブシや青海苔といったものもかけられていません。これはこれでちょっとまた不思議なんですが、逆に素朴な感じでなかなかグッドではないかと思います。どうしてもというかたはカツオブシを自分で買ってふりかけましょう。

なお「のぼり」が「日本営業中」となっていてなんのことやらサッパリわかりませんでしたが、単に裏から見ていただけでした。営業中は鏡に映しても営業中と。そりゃそうですね。
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旧線路通りの謎その2

59-8-1-2.jpg国土地理院 大正元年測図・大正4年6月30日発行 1/25000より抜粋


59-8-1-3.jpg国土地理院 昭和14年測図・昭和22年11月30日発行 1/25000より抜粋



大正4年6月30日発行の地図と、昭和22年11月30日の青森付近の地図です。これを見るとわかるとおり少なくとも大正4年では旧線路通りを東北本線が通っていたことになります。また現在は古川の跨線橋あたりから東北本線と奥羽本線が分岐するのですが、昔はもっと手前から分岐をしていたことがわかります。私もこの地図をみて気がついたのですが、この奥羽本線の線区の変更により、奥羽本線側にも旧線路通りが存在するようです。

昭和22年には操車場が完成しており、東北本線から奥羽本線への渡り線も完成しています。
現在中央大橋のある通りは以前は荒川方面に向かうメインストリートだったようですが、操作場が出来たとたんに分断されたこともわかります。ちなみに、昭和22年の段階でまだ観光通はありません。住んでいた人はさぞかし不便だったでしょうね。

町名も現在は使われていない、寺町、米町、大町、浜町という旧地名になっています。

市役所も県庁のうら側にあります。また現在の郷土館の位置に銀行があるのもカクニンできます。(タブン青森銀行本店)

なお現在の地図はこちらより見ることが出来ます。

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旧線路通りのナゾ

いろいろ調べてみたのですが、Webでは旧線路通りがいつ線路でなくなったのか結局わかりませんでした。

鉄道廃線跡を歩くという本でもこの区間のことは触れられていません。これは駅や線路が廃止になったのではなく、経路がかわっただけだからでしょう。

というわけで、ラチがあかないので、国土地理院行って調べてこようかと思います。
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実家に一番近い廃線跡

東北本線廃線跡

実家に帰省したついでに撮影してきました。実家から100mくらいのところです。

青森市の平和公園から松園橋を経て、栄町、浪打、県病の裏あたりを通る遊歩道がありますが、これが旧東北本線の廃線跡です。浪打付近はバス専用道路として、国道の脇にある側道が線路のなごりと思われます。ものの本によると、この路線が廃線になったのは68年7月21日。東北本線の複線電化にともなうもので、路線の廃止とともに、浦町駅、浪打駅の2駅も廃止となりました。すでに廃線になって30数年。あたりの桜も育ち春には見事な花が咲きます。

ちなみに、松園橋は私が小学生のころ、かけられた橋で、マッタク新しい橋です。

ところで、青森市にはこの線とは別に旧線路通りという通りがあります。これは青森駅からラビナ方向に向かい、古川跨線橋をくぐっいく通りで、いかにも線路っぽくカーブしており、堤町あたりで民家が邪魔しますが、そのまま道をまっすぐ伸ばすと松園橋につきあたります。

その名の通りここは昔線路だったようです。つまり、青森市内の東北本線は少なくとも3回ほど敷設しなおされたということになります。オヤジに聞いてみましたが、随分昔になくなったということで詳しい年はわかりません。

なお、これとは別に青森駅から安方、本町を経て岸壁のほうにのびる貨物の引き込み線もありました。こちらは私が小学校2年生のときには少なくとも現役で使用されていました。今でもよーく見てみると線路の残り香があります。

現在アスパムがあるあたりがそれです。
Posted by issei

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