ほぼ雑記的メモ
さて、長野電鉄の屋代線は、屋代と須坂を結ぶ、ローカル線です。列車本数も少なくおよそ1時間40分に一本。また車両もボロボロで、今時、貴重な冷房なしという車両でした。 待合室からして気合いが入っています。最近はどんどん駅が綺麗になっていくので、こういうレトロな感じな待合室が少なくなっています。このまま頑張って保存してほしいものです。選挙で当選された議員の皆様、よろしくお願いします。
列車は果樹園の中をつっきる列車でした。まど全開なので、ガッタンゴットンという音がいつもより大きいですが、晴天の田園風景の中を走る車窓を眺めていると、その音すらムシロ心地よく感じられます。 おばちゃんがロングシートに寝っ転がっていたのが印象的でした。JR東日本 | 上野〜上田 | あさま551 |
上田交通 | 上田〜別所温泉 | |
別所温泉〜上田 | ||
しなの鉄道 | 上田〜屋代 | |
長野電鉄 | 屋代〜須坂 | |
須坂〜信州中野 | ||
信州中野〜湯田中 | ||
湯田中〜長野 | ||
JR東日本 | 長野〜松本 | ワイドビューしなの18 |
松本電気鉄道 | 松本〜新島々 | |
新島々〜松本 | ||
JR東日本 | 松本〜甲府 | |
甲府〜塩山 | ||
塩山〜大月 | ||
大月〜新宿 | かいじ122 | |
新宿〜東京 | ||
東京メトロ | 東京〜大手町 | |
大手町〜水天宮前 |
上田交通、長野電鉄、松本電気鉄道を制覇
コアラ大賞でfj思い出す人はお年寄り・・・ということで、コアラといえばユーカリ、ユーカリといえばユーカリが丘、ユーカリが丘といえば株式会社山万が運営するユーカリが丘線、ユーカリが丘線といえば「こあら2号」でしょう。
ユーカリが丘線は時刻表で見ると分かるとおり、ちょうど栓抜きの形のようになっています。実際にはこの栓抜きを左回りの一方通行で運行している単線の路線です。一方向にしか回れないというのは、まるでA列車で行こうでプレイヤーが作成する路線のようですね。ちなみに、栓抜きの柄の部分も単線でした。
したがってこの路線。単線でかつどこでも列車交換ができなくて(あえて言うなら公園駅?)、一週する度に列車の向きが自動で変わるという、カナーリ興味深い路線であります。
写真左はちょっとわかりにくいけれど中学校駅です。途中下車(?!)して撮影してみました。降りたら目の前に中学校があるというわけではなく、単なる宅地があるだけでしたが・・・
山万はユーカリが丘を作った宅地開発会社で、その住宅地にモノレールまで引いて運営までしているという変わった会社です。モノレールは閑静な住宅街をぐるっと回っているのですが、その駅名がまた適当です。「女子大」「中学校」「公園」等々・・・まぁ名は体を表すので、それ以上の情報は不要なのかもしれませんね。
なおこの日は新人運転士研修ということで、女性の運転士の方が頑張っておられました。
東成田のトンネルを抜けるととそこは芝山千代田だった・・・。あっというまに終点です。
と、いうわけで日本で一番短い鉄道、芝山鉄道に乗って来ました。芝山鉄道は京成の東成田〜芝山千代田までのわずか2.2kmの鉄道で、2002年に開通した比較的新しい路線です。列車は全て京成成田からの列車で、自動改札なのにパスネットも使用できませんでした。
この先に延伸する計画もあるようですが、果たしてどうなることやら?
目には目を埴輪好(你好のハオ)。芝山千代田の前には記念写真の板が・・・ ここで記念写真を撮るには勇気が必要ですね。
駅前からはバスが出ています。空港ターミナルに行こうと思ったら、ものの見事に逆方向に乗って(紛らわしい)、ぐるっと成田空港を逆に回ってまた京成成田駅へ到着・・・シッパイしました。(笑)
東京メトロ | 半蔵門線 | 水天宮前〜住吉 |
東京都交通局 | 新宿線 | 住吉〜本八幡 |
JR東日本 | 総武線 | 本八幡〜西船橋 |
武蔵野線 | 西船橋〜新松戸 | |
常磐線 | 新松戸〜取手 | |
関東鉄道 | 常総線 | 取手〜下館 |
真岡鐵道 | - | 下館〜茂木 |
JRバス関東 | - | 茂木〜東武宇都宮 |
東武 | 宇都宮線 | 東武宇都宮〜栃木 |
日光線、伊勢崎線 | 栃木〜北千住 | |
東武、東京メトロ | 伊勢崎線、半蔵門線 | 北千住〜水天宮前 |
もおかてつどうと読みます。私も今日の今日まで間違って読んでました。_| ̄|○
真岡鐵道は旧国鉄真岡線を引き継いだ第三セクターで、茨城県の下館からサーキット場でお馴染みになった茂木までを結ぶ 41.9kmの路線です。
で、普通ならここに乗車記などを書くわけですが、今回のネタはこれで
茂木駅で、我が青春の50系客車キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
なにやら色が塗り替えられていますが、まごうことなき50系です(写真左)。
Wikipedia見る限りですと、大量にあった50系車両もここを含むほんの一部の地域で、それもイベント列車のみのようです。ジツに寂しい限りです。一応中国にも一部輸送されたと聞いていますが・・・・
真岡鐵道はSL保存に力を入れているようですが、SL並に、いやSL以上に50系客車の保存事業(もちろん動態)に力を入れて欲しいと思う今日この頃です。
なお、右の写真はオマケで前をひっぱているSL(C12 66)。まぁ50系客車に比べたらワタシ的にはそういう扱いとせざるを得ないですわ。
関東鉄道常総線は茨城県の取手と下館を結ぶ全長51.1kmほどの路線です。1913年に常総鉄道として開業したというのだから比較的歴史のある路線です。その後1940年に常総鉄道と筑波鉄道が合併し、常総筑波鉄道となり、1965年に「鹿島参宮鉄道」と合併し「竜ヶ崎線」を加え、現在の「関東鉄道」となりました
今回この路線を制覇して来ました。
常総線のホームはJRの隣にありますが、入り口はJRと別になっています。また連絡用の入り口も用意されています。ホームにはこの手の私鉄にしては珍しく、そば屋がありました。あなどりがたいですね。関東鉄道。
さて、関東鉄道常総線の取手〜水海道間は全国でも珍しい「複線非電化」区間です(写真右)。複線非電化区間といえばJR北海道やJR九州にありますが、私鉄ではとんと思いつきません。
私が乗った曜日、時間帯ではガラガラで、何故複線なんだろう?と思ってたのですが、家帰って調べてみると、どうも常総線は平日のラッシュ時には7〜10分間隔で運転をするらしく、かなり輸送量の多い区間だそうです。それを聞いてナットクしました。
私の旅はどうしても休日になってしまうので、そういうギャップもまた面白かったりします。
時刻表では直通運転のように書かれていますが、列車は基本的に水海道での乗り換えとなります。水海道では1両の単行ディーゼルが待ちかまえてました(写真左)。取手からの客は殆ど水海道で降りてしまい、社内には殆ど人がいません。いよいよローカル色が強くなってきます。
中妻あたりを過ぎると筑波山をバックに一面の田んぼが広がります(写真右)。こんな景色が下館まで続きます。
最近映画で話題になった下妻の中心駅の下妻駅。深田恭子はいませんでしが、しっかりポスターは張ってありました。(写真の真ん中あたりに注目)
下妻を抜けしばらくすると終点の下館です。常総線は下館でJRの水戸線と真岡鐵道に接続しています。今回はここから真岡鐵道へ乗り換えて茂木をめざしました。
ついでなので、西武「西武多摩川線」に乗ってきました。
西武多摩川線は西武の他の路線と接続していない孤立した路線です。JRの武蔵境駅から是政(これまさ)までの8kmの路線で是政駅は多摩川のスグ近くにあります。
多摩川に向かう路線の大部分はたいてい砂利を採取するための路線なんですが、この路線もご多分に漏れず、砂利採取のために1917年に多磨鉄道により開業した路線です。
セメントを作るには砂利が必須です。多摩川の砂利は良質でなおかつ大消費地の都心に近いので最盛期には多摩川のあちこちで頻繁に採取されていたそうです。
多摩川線が、是政まで開通したのは1922年です。その翌年に関東大震災があり、建物復興のための砂利輸送はさぞかし賑やかだったのではないかと予想されます。
ちなみに多磨鉄道が西武に合併吸収されたのは1927年、貨物輸送は1967までされていたそうです。さすがに資源が枯渇したのでしょうか?
始発駅の武蔵境駅はJRと同じ構内にあります。西武専用の入り口というのはないようですが、高架化の工事をしていたので、将来乗り換え口みたいなものができるかもしれません。線路は全線単線です。
終点の是政駅はいまどき都心には珍しい有人改札口でした。当然パスネットも使えません。自動改札があたりまえの昨今、かなり貴重な駅と言えましょう。
そのまま折り返すのも癪なので、是政駅から南部線の南多摩駅まで歩いてみました。写真は玉川に架かる府中街道の是政橋から見た、南部線と武蔵野貨物線です。橋を渡ると南部線は玉川に沿って左に急カーブしますが、貨物線はそのままトンネルに入り殆ど地下鉄状態となります。
南多摩駅周辺はかなりのどかでした。どこかの田舎のローカル線のような雰囲気をかもしだしていますね。(写真右)
本日のルート
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